背中心

背中心というのは、着物の背中の真ん中にあります縫い目のことですね。ですから、着物では裄という言葉で、背中心から袖までの長さを測ったります。一方、洋服の場合は、肩幅と袖という形で、わけていると思います。ですから、普通洋服の場合は、背中の真ん中に縫い目はあまりありませんよね。

つまり、この背中心というのは、かなり着物特有のお話でもあります。これは思想といいますか、発想が違うわけです。
今では、柔道や弓道などはすっかり日本のものではなくなりましたので、道着に背中心が無くなったりしています。合理主義の成果ですね。

西洋的は背中は一つという発想です。ですから、背中の中心は、肩幅を2で割った物理的な真ん中のところです。一方、日本は、左の世界と右の世界に分かれていて、その境界線が背中心というわけです。西洋にとっての左右は、たんに位置の違いという判断ですが、日本では、左という国と、価値観も文化もなにもかも違う国が右にあって、その国境が背中心なのです。例えが悪いですが、ベルリンの壁みたいなものです。

礼法でも、襖の開け閉めは、必ず、背中心のところで、手を持ち替えているでしょう?つまり、右手は右側で、左手は左側で、安易に他の国に越境することを戒めているわけです。

要するに、右には右の感覚があって、左には左の感覚がある、これを二つの感覚として分離しておくことが肝心であるというわけです。刀という世界最弱の武器を、最弱にならないように、わざわざ両手で持って戦うのは、右手と左手、別の生き物として、二つの感覚で戦に参加しているというわけです。

その中で、身体を割るという言葉を聞いたことがありませんか?この言葉はを検索しても、あまりパットしないサイトしか出てこないので、ひょっとしたら、死語になっているのかもしれませんが、背中心で身体を割るというのは、初心者的にはとても有効なことです。背中を一枚の板のように感覚しているのと、右と左の二枚の板がつながっていると感覚するのとでは、雲泥の差がでます。ちょっと試しに、なにか運動してみるとすぐに分かると思いますよ。

そして、もう一度刀を持つ、この手をよく見て下さい、右手は、手のひらの右側でもち、左手は手のひらの左側を使ってもっていませんか?偶然ではありません。また、手甲などは、手のひらの左右を分けるために中指に紐を通していますね。
草履の鼻緒にも、左右をわける感覚を手助けしているわけです。中指ではありませんが、親指と他の4本の指の間に境界線があるわけです。

まあ、手のひらや、足はまだ良いとして、とりあえず背中心にした背中の左右を感じることから初めて見ましょう。

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