正面を避ける

日本的な神社では、鳥居をくぐってから、神殿までが一直線につながっていないことが多いと思います。それに対して、中国の様式を取り入れた、例えば平安神宮などは、鳥居から神殿までが一直線につながっていて、建物もシンメトリーに配置されているかと思います。この違いは、やはり文化の違いと、神社の立ち位置の違いだと思います。

これは明治神宮案内図ですが、表参道の鳥居をくぐってから、クランクに曲がって神殿へ向かいます。
参道も道の真ん中は、空けなさいなんていうことを聞くこともあるかと思います。

それはさておき、今回は神と人ではなく、人と人の対面の仕方について考えます。
ひところ、相手の目をみて話しなさいとか、眼力が強い人が良いみたいな、ことをマスコミを通じて、ミスリード?しましたよね。わざとそのように誘導したのなら、陰謀論ですが。笑 ですから、たぶん今でもそんなことを常識だと思っている人もいると思います。

でも、実際に人と人が、しっかり目を合わせて話せば、どうもけんかでもしているような状態になりますよね?それは、日本だけではなく、海外でもその傾向がありますし、動物もそうですよね。
愛している二人が、同じようにじっと目と目を合わせて話してたら、これも端から見たら、こわいでしょう?まあ、ドラマやアニメにあるのかもしれませんが、実生活ではちょっと公共の場では、こわいとおもいますけど、みなさんはどう思われますか?
時代劇では、ず、頭が高いひかえおろう!と目上の人を見ることも話しかけることも出来なかったわけですからね。これは時代錯誤ですけど、でも今でも、ヤンキーに難癖つけられるときには、だいたいなにガン飛ばしてやがんだよって、ありませんか?笑
余談ですが、芝居でもセリフは相手の目を見て言えとか、言う演出家もいるかもしれませんが、実際に見て台詞いったらわかりますよ。動けなくなります。つまり芝居が出来なくなります。もちろんその回避方法はたくさんあるので、そうしているんだろうと思いましが、演出家の言うことを真に受けたらおわります。笑

話がそれていますが、正面を避けるという話でした。本来、たぶん、座敷でも座の位置は正面を避けて座るのが良いのでしょうが、座布団の位置は動かすのは失礼なので、どうするのかなぁ?

とまあ、こんな感じですと、困りますが、これが神社でいう鳥居を入ったあとにクランクで曲がっているということを思い出せば、座布団はいったん下座に座ってから横へ移動するわけですので、。なるほど、これで正面を避けたことになるのかなと思うわけです。

ここまで、書いてきて、いわないといけないことがありました。それは、これらのことは、きまりとか、しきたりの話をしているのでは、ないということです。すべて、感受性のお話なのです。相手を受け入れられるのか、神を受け入れられるのか、というか、心閑かになれるのか?心を開けるのか?ということです。清いこころもちになれるかということなのです。

清い:氣に活きよいがあること
穢れ:氣が枯れること
神の訪れ:心閑かにして、なにかヒントが聞こえること
祈り:心閑かにして、思いついたことに乗ること。意乗り

こんなことかくと、なんやら怪しいと思われる方もいらっしゃると思いますが、すべて自分を豊かにするための事です、つまりこれが日本の文化だと思います。

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