影を大切にする
現代は、影を邪魔なものとして、なるべく排除している。
例えば、机で字を書くときも、利き手とは逆側に蛍光灯をおいて、紙の上に自分の手の影が出ないようにしていると思います。字を書いているのにそこに影があったら邪魔だと考えるわけです。なるほど、合理的に考えれば、そうだよなと思うわけです。字を書くのに手元に影があったら書きにくいだとうと考えるわけです。実際に書いてみれば、なるほど影がなければ明確に字を捉えられるなと思います。
ところがですね、この状態で長く字を書いていますと、結構ストレスを抱えていることになります。そもそも自分の汚い字が、明確にそこに浮かび上がるし、逃げ場がないというか、書くことに追い立てられて、余裕がなくなる様な気がします。もちろん、これは個人的感想なので、ひとそれぞれ感じ方は違うと思いますが、、皆様も簡単な実験ですので、やってみてください。影のない状態で字を書くのと、影をあえて作って、影の中に字を書いてみて、どう感覚的に違いがあるのか?面白いですよ。
日本の家屋も、薄暗いイメージがあると思いますが、あえて影を作り出すためにいろいろな工夫をしているのではと考えると、仕掛けが面白いわけです。対して現代の家屋は、なるべく窓を大きくして、影がでないような空間作りに精を出しているように感じますね。
では、この影をどうとらえるか、なのですが、経験的には、明が視覚的に有利なのですが、影のほうは、感覚的に有利に働きます。ですから影側に軸をおけば、圧倒的な安定感というか、充実しているように感じるのは、感覚的に有利だからです。明はむしろ虚であり、影は、実をとっているのかもしれません。明確に見えているものに、虚を求め、影として、実体が分からない物に実を求めた。そして、経験上そうすることが、佳い成果をもたらした。すなわち、この虚実を同時に捉えられることが豊かな生活につながるのではないでしょうか?そのためにあえて影がでるように演出されたのが、日本文化なのかもしれません。
明と影を両立させることが、最善の結果を生み出す、その経験から、人はあえて影を大切にするようになった。憶測ではありますが、そう考えて、日本文化を見直すと、なかなか楽しいものです。
ちょっと繊細な感覚のお話でしたので、何も違いがないよと思われる方も大勢いると思いましが、まあ、そんなこともあるのかもな、ぐらいで、聞き流してもらえれば幸いです。